詩人が見つめた岩手の原風景
賢治が歩いた 外山の春
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外山牧場について
外山牧場と宮沢賢治
外山と宮沢賢治 関連年表


宮沢賢治と外山牧場:音声解説
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詩人が見つめた岩手の原風景
宮沢賢治は、なぜ外山を繰り返し訪れ、その風景や馬、人々の営みを作品や書簡に残したのでしょうか。盛岡高等農林学校に入学した19歳の春、賢治は外山を訪れ、御料牧場の厩舎につながれた馬を歌に詠みました。
大正9年、心友・保阪嘉内への手紙には「外山の四月をあなたは見なかったでせう」と記し、残雪、かたくりの花、落葉松、馬たちが息づく高原の春を鮮やかに描いています。
そして28歳の春には、岩手県種畜場となった外山を再び訪れ、月夜の水流や馬の鈴、働く人々、種馬検査所、雪解けの大地を「心象スケッチ」として残しました。
外山は作品の背景にとどまりません。未完の戯曲『蒼冷と純黒』には「外山と云ふ高原だ。北上山地のうちだ。俺は只一人で其処に畑を開かうと思ふ」と記され、保阪嘉内との友情や農村への思いとも重なっていきます。さらに『小岩井農場』、羅須地人協会と嘉内の農村活動、軍馬をめぐる時代、上米内駅や高洞山、現在に残る賢治の足跡へ――。
作品、書簡、史料、そして現地の風景をたどると、賢治と外山を結ぶ一本の道が少しずつ姿を現します。その道の先に何が見えてくるのか。外山の風景を歩くように、賢治の言葉とともにたどってみてください。
















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