鉄道敷設と軍需産業の胎動
これらの繁栄を土台から支え、加速させたのが「日本鉄道(現在の東北本線)」の開通でした。このプロジェクトは、単なる地方振興ではなく、近代国家としての存亡を懸けた巨大な軍需インフラ整備という側面を持っていました。
明治維新の重鎮・岩倉具視率いる日本鉄道は、上野から青森に至る長大な鉄路を、当時としては驚異的なわずか10年というスピードで建設しました。この異常なまでの急ピッチな敷設背景には、軍隊に不可欠な「鉄鋼」や「火薬原料」を産出する鉱山を結び、戦略物資を迅速に輸送するという強い軍事的要請があったのです。
鉄道は、外山などで育てられた精鋭の軍馬を全国、そして戦地へと送り出す最強の動脈となりました。この鉄道網を広げる一方、現場で指揮した「鉄道の父」井上勝(鉄道庁長官)は、鉄道庁長官として「鉄道網を広げる一方、自ら美田良圃を潰してきたことに心を痛め、その償いとして不毛の荒野(雫石)を豊かな農牧の地に変えようとしました。」その不退転の決意のもと、日本鉄道副社長の小野義眞、三菱社社長の岩崎弥之助と共に創設したのが「小岩井農場」でした。
このように、岩手の近代化は「鉄路」という国家の背骨と、「馬」という経済の血液が合流することで成し遂げられました。外山牧場が点した灯火は、鉄道という動脈を通じて日本全体へと広がっていったのです。
盛岡駅
| 1880年(明治14年) | 全国への鉄道を建設することを目的とし日本初の私鉄「日本鉄道会社」が設立。上野駅~青森駅間施工開始。 |
| 1890年(明治23年11月1日) | 上野~盛岡開通 盛岡駅として開業 |
| 1891年(明治24年9月1日) | 盛岡~青森間開通し、上野~青森間全通 |
| 1906年(明治39年11月1日) | 日本鉄道が国有化され、国有鉄道の駅となる |
| 1921年(大正10年6月25日) | 橋場軽便線(現在の田沢湖線)が開業 |
| 1921年(大正10年6月25日) | 小岩井駅開業 |
| 1923年(大正12年10月10日) | 山田線が開業 |
盛岡駅(明治30年代)
盛岡駅(大正6年頃)
小岩井農場の創業者
井上勝は、日本の鉄道の父と言われる人物です。幕末の動乱期にイギリスに密航した伊藤博文、井上馨ら5人の長州藩士、いわゆる長州ファイブの一員です。
小岩井農場
1888年(明治21年)6月12日。この日、盛岡を訪れていた明治政府の鉄道庁(当時は鉄道局)長官、井上勝は、眼前に広がる岩手山の南麓に広がる風景に目を奪われていました。それは、木もまばらな不毛の原野でした。奥羽山脈から吹き降ろす冷たい西風のなか、ススキや柴、ワラビなどが散在する火山灰地を前に、井上は、この荒れ果てた土地に大農場を拓くという、かつて誰も抱いたことのない夢を抱いたのです。(小岩井農場HPより)

井上 勝(いのうえまさる) 1843~1910
鉄道庁長官。長州藩(山口県萩市)出身。
幕末、伊藤博文(後に総理大臣)らと共に英国に渡り、鉱山・鉄道などの工学を専修した。帰国後は明治政府の鉄道頭となり、東海道線や東北本線などの幹線鉄道を完成させた。1893年 (明治26年)鉄道庁長官を退くまで二十数年に亘り鉄道事業の育成に尽くし、退官後、鉄道視察に赴いロンドンで客死。

小野 義眞(おのぎしん) 1839~1905
日本鉄道会社副社長。土佐藩(高知県宿毛市)出身。
藩政時代は郷里の大庄屋であったが、維新後官途につく。退官後、三菱の創業者岩崎彌太郎の知遇を受け、その代理として三菱のために各方面に活躍する。日本鉄道会社には三菱を背景として参画し、後に社長となる。

岩崎彌之助(いわさきやのすけ) 1851~1908
三菱社社長。土佐藩(高知県安芸市)出身。
三菱の創業者・岩崎彌太郎の実弟。1885(明治18)年、彌太郎没後、三菱の第二代社長となる。海運から鉱山・炭鉱・造船・金融・不動産などに進出し、三菱の事業の多角化を図る。1896(明治29年)年から2年間、第四代日銀総裁も勤めている。
小岩井農場を支援した御料牧場幹部二人
- 小岩井農場の事業について助言
- 明治期の基礎となる牛群、羊群、サラブレット種馬の選定と輸入

藤波 言忠(1853~1926)
主馬頭 小岩井農場監督

新山 莊輔(1853~1930)
下総・新冠・外山御料牧場長 小岩井農場長




