赤レンガの金融街
当時の農民にとって、馬は「生きた現金」でした。軍による買い上げなどで高値がつけば、一戸の家計を数年分支えるほどの巨額な富がもたらされました。この莫大な現金を管理・流通させるために、盛岡の街づくりは加速します。
肴町周辺には、今もその姿を留める「旧盛岡銀行(赤レンガ館)」をはじめとする重厚な銀行建築が立ち並びました。現在の美しい街並みは、馬がもたらした富が築いた「金融の都」としての誇りなのです。
旧盛岡劇場

有志の出資により盛岡における芸術活動の拠点劇場として1913年(大正2年)9月23日、新馬町(現・松尾町)に開館。日本初の洋式劇場である帝国劇場の開場から2年後の開場で、東北地方初の近代的演劇専用劇場であった。
設計は中央停車場(現・東京駅)や盛岡銀行本店(現・岩手銀行中ノ橋支店)などを手がけた辰野・葛西建築事務所。こけら落とし公演は、7代目松本幸四郎一座によるものであった。
旧岩手銀行旧本店本館

旧岩手銀行旧本店本館は明治44年に建てられた洋風建築で、煉瓦造1部3階建てルネサンス様式の建物です。
設計は辰野金吾と葛西萬司の両氏によるもので、東京駅同様当時の建築様式を伝えるものとして国重要文化財に指定されています。
旧九十銀行本店本館

「この建物は旧九十銀行本店本館として明治43年(1910)12月に竣工しました。設計は東京帝国大学を卒業して間もない、盛岡出身の若き建築家横濱勉、工事監督は元岩手県立工業学校助教諭 久田 喜一です。
構造は煉瓦造2階建、正面から見て左右非対象の建物で、屋根はマンサード型を基本とし、正面左側は棟を直交させて飾り棟をのせ、ドーマー窓を飾り、天然スレート板及び銅板で葺かれています。
建物の荒削りな隅石や入口・窓のアーチなどの石材は市内川目産の花崗岩が使用されています。大正期にあらわれる表現主義建築の先駆けとされ、外観は重厚感のあるロマネスク・リヴァイヴァル様式、内部は直線的で平明かつ簡潔なゼツェッシオン式の影響がみられ、19世紀末の欧州での建築運動をいち早く反映させたものとして、我が国の近代建築史上重要な建造物と言えます。

